もじさんぽ

絵本の読み聞かせと育児を楽しむ日記

早期英語教育は不要なのか

早期英語教育について、自分なりの考えを書いてみたいと思います。

 

自分の話

まず初めに僕自身の話です。あんまり興味ないかと思いますがお付き合いください。

英語に出会ったのは小学校の5年生か6年生の頃、小学校の月に一回のクラスで、外国人の先生とジャンプしたり、歌を歌うといった、「英語に触れあってみよう」という程度のものでした。それ以外に英語に触れる機会はなく、英語のアルファベットの勉強を始めたのは、学校教育のカリキュラム通りの中学校1年生の4月からです。

小学校の頃に、周りの同級生が数人英会話教室に行っていたのは知っていましたが、特に興味もなく、なんとも思っていませんでした。

 

そんな中、おそらく自分の価値観に大きく影響を与えた事件が発生します。それは中学校の英語の教科書に載っていた1枚の写真でした。

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マチュピチュの風景を映した写真です。

正直衝撃を受けました。本当に頭にガツンとした衝撃でした。

 

「こんな世界があるのか。」

 

それまで生きてきた世界が、とある県の一つの市の一つの町の中でしかなく、生きてきた世界がとてつもなく狭いんだということを実感した瞬間です。それ以来、授業はあまり聞かず、マチュピチュのこの絵を英語の時間中ずっと眺めていました笑

それ以来、英語には抵抗なく、高校時代は英語は偏差値70台まで上がって、得意科目の一つになりました。

 

その後、社会人になってアジアに駐在し、アジアの人々と日常的に英語で仕事をするに至ります。ネイティブのように流暢ではなく、片言で中学英語をつなぎ合わせる程度ですが、仕事は全く困らないレベルです。

 

以上の話を読んでもらうとわかる通り、早期幼児教育を一切受けていませんが、今では、たまたま知り合ったドイツ人とそのまま飲みに行って、政治の話や仕事の話をしたり出来ています。

 

なぜ英語を勉強させたいかをはっきりさせる

まず、英語で何をしたいのかをまずはっきりさせる必要があります。

 

外国人とお喋るするため?雑談を?まじめな議論を?

海外で仕事をしてもらうため?通訳?IT系?商社マンとして?

選択肢を狭めないため?そしたら英語だけでいいの?中国語、スペイン語は?

 

皆さんはそれぞれどんな思いがありますか?

 

進化してきた当時通訳ソフト

ITの変化は凄まじい勢いです。通訳ソフトの進化もガンガン進んでいます。

 

リアルタイムの同時通訳ソフトはごまんとありますし、精度もどんどん上がっています。雑談レベルや人に道を教えるレベルであれば現在でも、もはや英語を覚える必要はないくらいです。

東京オリンピックが始まるころには世界中の人が翻訳アプリを携えて日本に来るので、英語でお出迎えする必要はない気がします。

 

そんな中で流暢な英語を自分の口で話す意味はどこにあるのか。

 

グローバルな英語

そもそも英語ネイティブスピーカーって世界70億人中の4億人くらいしかいないんです。全人口の25%の人が、英語を公用語として使っていますが、4億人、つまり5%の人以外は英語を第二外国語として使っているってことですね。

 

アジアで仕事をすると、ハリウッド映画で聞くような英語は一切話されません。インド人はヒンドゥー語に引きずられた英語になりますし、中華系の人は中国語なまりの英語になります。ベトナム人はベトナム語に近い発音の英語になってます。

 

日本人の片言で話す「アイアムジャパニーズ」は日本人にとって一番聞き取りやすい英語に最適化されているものです。これもジャパニーズ英語と呼ばれる訛りの一つだと思っています。

 

アジア人は発音をほとんど気にしないので、「アイアムジャパニーズ」のベトナム語版、中国語版、マレー語版、それぞれが自分たちの聞きやすい英語を話している感じです。

 

それが、少なくともアジアのスタンダードです。

ドイツ人やロシア人とも話したことがありますが、やっぱりどこか自国語の発音に似ているので、第二外国語として話す限りは、それが普通であり、それがグローバル英語だと思います。

 

仕事をするにはもともと仕事が出来ないと意味がない

また、海外に駐在して感じることとして、そもそも仕事を遂行する能力や日本で培ってきた知識がないと通用しないということがあります。

 

よく言われたのが、「日本語で仕事が出来ないやつがいくら流暢な英語でしゃべっても余計にややこしくなるだけだ」

 

日本語でまともにコミュニケーションできないない人が海外で仕事が出来るわけがない。まず大事なのは仕事をこなせることです。英語は、片言でも何が言いたいのかがはっきりしていれば伝わります。アジアの人たちは東大よりもランクの高い大学を卒業している優秀な人たちばかりです。意図を理解するのはとても速いし、こちらのやりたいことがダイレクトに伝わるので、むしろ日本よりも仕事がやりやすいと思うことが多々あります。

 

英語がめっちゃ出来るけど仕事がいまいちな人と、英語は苦手だけど仕事が出来る人なら駐在員として選ばれるのは後者です。

 

こうなってくると英語を幼児期に時間をかけて学ばせる価値というのはどれほどのものなんでしょう。

 

大切なのは文化を知り、需要すること

ただ、僕の経験から、幼児期にやっておきたいことがあります。最初のマチュピチュの話に戻るのですが、つまり、異文化だったり、世界の広さといったことを子供に伝えることをするということです。

 

僕はたまたまマチュピチュの写真に出会うことが出来ましたが、出会えてなかったら地元で就職して、地域の中だけで生きる選択をしたかもしれません。

 

世界がとても広くて、自分たちと違う言葉を話す人がいて、自分たちと違う価値観を持っている人がいるということを実感させたい。

具体的手段は海外旅行にいくとかで考えています。

月1万円の英会話教室に通わせるよりも、2年間そのお金を貯めて、海外旅行に行きたいです。

 

親が片言英語を実用する

海外旅行で大切なのは、親が現地で片言の英語を使ったり片言の現地語を使って、現地人とコミュニケーションを取っている姿を子供に見せるということです。

 

流暢である必要はないと思っています。

 

外国人とはこうやってコミュニケーションをとればいいんだというのを親が見せてあげることで、子供からみた言語の壁は非常に低くなり、ハードルに感じなくなるかもしれません。

 

 

そうやって、海外や異文化への興味を持ってもらって初めて、外国語を話せると世界が広がるということを子供に認識させてから、もしも興味を持ったら英会話教室に通わせればいいんだと思います。

 

英語教育ではなくて、異文化理解教育を

異文化を理解しようとすれば、おのずとその言語に興味が湧きます。また、いろんな世界があるということを教えることで、子供の世界を広げることが出来、それが子供の選択肢を増やしていくことになるのだと思います。

 

早期英語教育をすることによって、異文化に触れられるので、英語起因で外国の文化を知ってもらうということはすごくいいことだと思います。

 

それでも、そのお金があるのであれば、何度でも海外に実際に足を運んで、その土地の文化を肌で感じてもらうほうが、何倍も発見があり、驚きがあり、楽しさがあると考えています。

 

以上、僕の持論を書いてみました。

 

 

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